top of page

日常茶飯の清水                       ~「そいでよかとよ」~

  • 執筆者の写真: 赤田 元日出
    赤田 元日出
  • 2024年10月27日
  • 読了時間: 2分

今年77歳になる母は、

認知機能が少しずつ低下し始めていて

施設で生活をしています。


そして、

毎週土曜日は、一緒に外出する日。

カラオケを楽しみ、

お昼の外食は、生魚を満喫し、

最後は、お気に入りの喫茶店で

大好きなコーヒーを飲みます。





椅子やおしぼりが深紅を基調にしていて

レトロな雰囲気の喫茶店です。


コーヒーが運ばれるのを待ちながら

母が、何やら言っています。


「そいでよかとよ、と言ってるのよ」


最近の母のおしゃべりは、

しっかりした意味のある時のオンの話題と、

別世界に行ったようなオフの話題がありますが

今回は、どうもオンの話のよう。


「施設の友人と話をしているときに

『目の前で起こっている事があるでしょう、

それに対して、

そいでよか、そいでよか(それでいい、それでいい)

と考えるといいと言っているのよ』

そうすると、

その友人たちも、

マネをして、

何でもかんでも、『そいでよかとよ』と言っているが、

意味が違うのよ。

しっかりと『。(まる:句点)』が、ついちゅらん(ついていない)」



この話を

私なりに理解すると、


目の前で起きている事柄については

「そいでよかとよ」とそのまま受け入れるのがよい。

友人たちは、行動を選択するときに

自分で意志をもってどちらかを選ぶことをせずに

「そいでよか」と他人任せにしている。


という内容であろう。


両者は、「そいでよかとよ」の段階が異なっている。

友人たちは、

行動を選択する段階で、「そいでよかとよ」と自分の行動を他人に任せて

自分の人生自体を他人に依存してしまっている。

母が言いたかったのは

自分の意志で行動を選択した後の結果については

どのような状況であろうが

「そいでよかとよ」と受け入れるということである。


再びない、一度きりの人生。

自分の人生を、他人任せで、他人の人生を生きるにはもったいない。

どちらに進むかを

自分でしっかりと選択して

その結果、起きてくる事柄には、「そいでよかとよ」と

心を広く開けて受け止める。

起きる事柄は、そもそも、良いも悪いもなく、中立。

それを価値判断をもって裁くのは、当人の思考。

逆に言えば、どんな事柄も

見方によって、良い面が必ずある。

そこに焦点を合わせれば

「そいでよか」と、抵抗せずに、素直に受け入れることもできるのだろう。



なるほどなぁと感心。


すると母が別の話題に。

「部屋の片づけがきちんとできていないと

スタッフから、叱られるのよ。

もう、腹が立って、腹が立って」


えっ、「そいでよかとよ」は、どこに行った!?















Comments


特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square

〒899-7103

鹿児島県志布志市志布志町志布志1-20-12

赤田元日出税理士事務所            まんりょう税会計事務所

TEL 099-479-4170  FAX 099-479-4171

bottom of page