大好きとんかつの旅 ~蟷螂の斧~
- 赤田 元日出
- 2024年11月3日
- 読了時間: 3分
霧島神宮へ参拝に。
すると参道に、一匹のカマキリが。

中国の古典『荘子』に、
「蟷螂(とうろう)その臂(ひじ)を怒らして
以て(もって)車轍(しゃてつ)に当たる」
と、あります。
その意味するところは、
「蟷螂はカマキリ。カマキリが鎌を振り上げて車輪に立ち向かっていくことで、
無謀な行動の譬えに使われる」(「中国古典一日一話」守屋洋)。
似たような譬えで、『文選』に
「蟷螂の斧(おの)を以って隆車(りゅうしゃ)の隧(みち)を
禦(ふせ)がんと欲す」があります。
中国は、古来より、
負け戦と分かっていたら、命知らずの戦いを避けて
一度退散し、捲土重来を期すのがよい、という思想があります。
よく知られている「三十六計、逃げるにしかず」も
困ったときには、逃げるのがよいという意味合いで
ここにも、
命を無駄にせず、次のチャンスを待つのが良い、
という考えが表れています。
そのため、
相手が、どうみても自分より力が上であるのに
やみくもに鎌を構えて臨戦態勢をとるカマキリが
無謀に見えるのでしょう。
昔の中国では
カマキリを見て
そのような教えを学びとったのですね。
日本人の気風は
これと異なり、当たって砕けろとか玉砕とか、最期の一花に価値を置きます。
『葉隠れ』(江戸時代中期、元佐賀藩の武士・山本常朝の談話をまとめたもの)にも、
「武士道といふは死ぬことと見付けたり」という有名な言葉もあります。
日本人の視点にたてば、
カマキリのわが身を顧みない行動は、称賛に値するものと言えるでしょう。
では、このカマキリの特性を
スピリチュアルな視点から考えてみると。。。
誰彼構わず防衛体制をとる姿勢は、
怖れの現れです。
愛のみが実在し、怖れは幻です。
怖れとは、愛を求める行動といえます。
カマキリの立場にたつならば
その怖れは、過去の経験を引きづっていることに起因します。
なぜなら、この世に生まれ出たときには
愛そのものであり、怖れなどは持っていないのですから。
過去の経験を解き放ち、
今に生きることを選択するならば、
愛を呼び覚ますことにつながります。
そして
カマキリに対するこちら側としては
カマキリが愛を求めているならば
愛をもって応えます。
防御態勢をみて、こちらも防御の姿勢で構えたのでは
いずれの側も、幻想の中にいるのみで、
平穏は訪れません。
心を開いて、カマキリを受け入れることで
愛が広がっていき、
お互いの心が安らぎで満たされます。
このことを
カマキリから人間に敷衍してみるならば
マハトマ=ガンジーの非暴力主義につながるのでしょう。
ガンジーは、最終的には、大英帝国からインド独立を勝ち取ることになります。
カマキリから、
いろいろなところに思いが向かいました。
さて、本日の昼食は、
霧島神宮から都城方面へ向かいまして
とんかつ専門店の「まぁるまる」さんです。

そして、量の多い「ジャンボロースかつ定食」を注文しました。

何と、ロースかつが2枚です!
さすがにこれは、満腹、満足でした。
「黒糖みそかつ」というメニューもあり、
次回が楽しみにします。
それと、
霧島神宮ですが、
招霊木(おがたまのき)に実がなっていました。
これまで気づかなかったのか、初めて見ました。


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