日常茶飯の清水 ~菜根譚「初心にかえる」とは~
- 2月1日
- 読了時間: 5分
朝の読書の中で
現在は、「菜根譚」の読み比べをしています。
「菜根譚(さいこんたん)」は、
17世紀初め頃に、中国(明)の洪自誠によって書かれたもので
「儒仏道、すなわち儒教と仏教と道教の3つの教えを融合して
そのうえにたって処世の道を説いて」(守屋洋著「決定版菜根譚」)います。
儒仏道の考えが混在しているために、幅広い読者に受入れらてきたとも言えます。
守屋洋さんは、その魅力を次のようにまとめます。
「読む人の境遇に応じて、
いろいろな読み方ができるところに
『菜根譚』のあやしげな魅力があると言ってよい」
(守屋洋前著)
「菜根譚」は人生の指南書として、人気があるため
多くの解説本が出版されています。
今回の読書では、その中から
条文番号順に訳出されている4冊の本を
同時に比べながら、1日1条ずつ読み進めています。
たいていは同じような趣旨の訳出になるのですが
守屋さんの指摘するように「いろいろな読み方ができる」ことから
30条については解釈の異動があり、
気付かされることがありました。
書き下し分が、下記です。
「菜根譚 30」
事窮(こときわ)まり勢(いきお)い蹙(ちぢ)まるの人は、
当(まさ)にその初心を原(たず)ぬべし。
功成り行(おこない)満(み)つるの士は、
その末路を観んことを要す。
これを、守屋洋さんは、次のように解釈しています。
「事業が行き詰って進退きわまったときには
初心に立ち返って失敗の原因を考えてみるがよい。
事業が成功してすでに頂上を極めたときには、
その先どうなるかをよく考えなければならない。」(「決定版 菜根譚」)

前半部分に注目してみたいと思います。
いわゆる「初心にかえる」ことが記載されています。
「初心にかえる」ことの重要さは、
世阿弥の「初心忘るべからず」が有名ですから
理解しやすい内容です。
次に、釈宗演の講話をまとめた「一日一話 菜根譚講話」による前半部分の解釈です。
「世に処して、成すこと為(す)ることが悉く失敗に終わり、どうにもこうにもならなくなった人は、
よろしくその事に着手した時の心を尋ねてみるがよい。
そうすればこれまでの遣り方が誤っていたことが分かるから、すぐ引き返して別の途を進むべきである」
守屋さんの解釈よりも、具体的になっています。
初心に立ち返ってみると、「これまでの遣り方が誤っていた」と指摘していますので
別の方法を採用しなさいと助言しています。

三冊目として、加藤咄堂著「未読精読 菜根譚」を見てみます。
「焦らず騒がす、心を静かにして最初に其の事に取り掛かった時のことを原(たず)ねて見よ。
さすれば当初以来の自己の過誤をも見出すこともできて、
静かに一歩を退くか、一方の血路を開くか、
いずれにしても虚心坦懐、仔細に自己が着手の当初を点検するがよい。」
「当初以来の自己の過誤」という一歩踏み込んだ解釈をしていると思います。
過程の誤りだけでなく、「当初」にも誤りがあったのではないかと。

最後に、久須本文雄著「座右版 菜根譚」です。
「事業が行きづまり、形勢がせばめられて苦境に立った人は、
最初事に着手した時点にもどって、
その時の心構えを反省してみなければいけない。
そうすれば、原点において誤りがあったことがわかるであろう。」
久須本さんは、もっと限定的に「原点」に誤りがあったと解釈しています。
加藤咄堂さんの考えに近い解釈です。
ただ、誤りがあった対象は、「原点」であり、
「初心」という表現はしていませんが
この「原点」には「初心」も含むのだろうなぁというのが私の感想です。
「当(まさ)にその初心を原(たず)ぬべし」という一言ですが
初心を正しいものとして、その課程に誤りがあると反省するのか
初心そのものにも誤りがあったとして省みるのかという大きな差が発生します。

「菜根譚」の作者洪自誠は、自らを「還初道人」と号したそうです。
「問題は、つねに志を立てた初心です。
そして、その初心を時に反芻して心に刻み直すーー。
その作業は、まかりまちがっても怠ってはならない。
洪自誠はそう考えて、還初道人と自らを号したのでしょう」(多川俊映著「心を豊かにする菜根譚33語」)
「還初道人」と号したのは
「初心、最初の志自体に誤りが無いように」という思いも
きっと含まれていると思います。
志村武さんは
「人生論の名著『菜根譚』を読む」において
この条の解説で、次のように指摘します
「”いまが最悪の事態だ”といえる間はまだ最悪ではない」(シェークスピア『リア王』)
このことを私たちは銘記しなければならない。
なぜならば、人生における不幸、不運、失敗、最悪の事態などは、
人生に対する誤った解釈のしるしであることが多いからだ」
事が極まって、「最悪の事態だ」と感じたならば
それは、
「その解釈は誤っている。最悪などではなく、まだやり直せるから、初心に還って反省してみなさい」
という人生からのメッセージだというのです。
熟慮したうえで、しっかりした初心を立て
周囲の風景が日常と化して
転げ落ちる前に、
初心を尋ねる、
それが事に処していく上で
重要なことなのでしょう。




























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